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秋の尾瀬と至仏山登山
(2011.9.28)

東京駅からの夜行バスにて尾瀬に出かけて、至仏山に登ってきました。尾瀬ヶ原・尾瀬沼周辺を廻って、帰りには檜枝岐温泉に寄ってきました。

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秋の尾瀬と至仏山登山(2011.9.27−9.30)

【全行程】
夜行バスにて東京駅から鳩待峠に行き、至仏山登山、尾瀬ヶ原・尾瀬沼の散策、檜枝岐温泉に立ち寄って帰りは会津高原尾瀬口駅から野岩鉄道と東武電車を乗り継いで浅草に戻ってきました。宿泊は、夜行バス、尾瀬ヶ原の見晴の尾瀬小屋、檜枝岐温泉の丸屋新館で、3泊4日の楽しい旅でした。

2011年9月27日(火)
東京丸の内の事務所で16時までの会議に出席した後、本郷の職場に移動して出発の準備をした。往路は夜行バスなので、最初に職場界隈の銭湯を探した。温泉地ではない街中の銭湯に入るのは10年ぶりかもしれない。職場周辺をうろつき回ること約30分、やっと池之端3−4にある銭湯「六龍鉱泉」を見つけることが出来た。入浴代は450円。入浴を済ませて職場に戻ってから、背広から登山の服装に着替えて東京駅に向かった。東京駅では奥さんと20時45分に待ち合わせて一緒に夕食をとってから東京駅八重洲中央口前にあるヤンマービル前を21時30分に出発するバスに乗り込んだ。バスは新宿・池袋まで移動して池袋を23時に出発して一路鳩待峠に向かった。夜行バスは7・8割程度の乗客を乗せて翌朝4時に戸倉に着き、そこでマイクロバスに乗り換えて鳩待峠に5時30分に着いた。

2011年9月28日(水)
鳩待峠で朝食をとり、身支度をして6時に出発して至仏山頂きを目指した。途中、オヤマ沢、小至仏山を経て至仏山の山頂(標高2228m)には9時半に到着した。上りは3時間半でした。山頂には約20人程がそれぞれに記念写真を撮影したり、我々を含めてとびきりの晴天の360度のパノラマビューを堪能していた。今日は雲一つない青空で景色も大変良かったので、”晴れ女”の奥さんには感謝です。感謝していることを言葉で言うと、感謝は形でしなさいと言われるので心の中で感謝を聞こえないようにつぶやきました。(実は後になって判ったのですが富士山が見えていた。)山頂には、75歳の男性、70歳の男性が一人で登山をされていてびっくりしましたが、自分もその年令まで元気でいれたらと思った。
山頂では約30分の休憩をとってから、山頂を10時に出発して登りのコースを逆向きに鳩待峠へ下った。至仏山頂から尾瀬ヶ原に行くには、山頂から山の鼻に下るルートの方が鳩待峠を経由して山の鼻に行くルートより距離も短いのですが、山頂と山の鼻の間のルートは上り専用になっています。下り禁止となった理由は、山頂付近の急斜面で過去に事故が発生したとか、狭い山道で上りと下りのすれ違いで高山植物の区域を踏みつけてしまうのを避けるための措置とか、の説がありますが実際のところはよくわかりません。下山に約3時間を要して鳩待峠にたどり着いたのが13時だった。約7時間の登山であった。鳩待峠で昼食をとってから13時半に出発し山の鼻を経由して尾瀬ヶ原へ。
尾瀬ヶ原の草紅葉はとても素晴らしく、黄金色になってこれから迎える長い冬の身支度のように見えて、自分達の年令ともかぶるように感じたのは私だけでしょうか。それとも、木道を元気に行き交うご年配の旅人も同じような気持で歩いておられるのでしょうか・・・
それはさておき、山の木々には紅葉が訪れていないでしたが、湿原の池には「ヒツジ草」も黄金色に色付いた所々に可憐な小さい白花を咲かせて、旅人を楽しませてくれました。NIKONカメラの撮影同好会の人たちが高級一眼レフ(いや、高級デジタルカメラ)のシャッターを盛んに押していましたので、私もその集団に分け入って一緒になって中級デジカメで撮影アングルを決めました。三脚ではなくて、健脚(?)は一路見晴に向かっていますが、時折登ったばかりの至仏山を振り返りました。予定では16時までには着くはずであった見晴の尾瀬小屋に16時55分に到着して奥さんは慌てて入浴を済ませて(女子入浴時間帯が最終17時まで)、続いて男子入浴時間帯(17時〜17時半が最終)に私が入浴して、17時半の夕食に間に合った。
夕食では、隣の宿泊客が今日の「青雲」に感謝をしていた。語彙の少ない私には意味が分かりませんでしたが、お線香の晴雲と星雲ならばわかりましたけど。その宿泊客曰く、「青雲とは晴天より青空の意味であり青空に雲があるのではない。」と盛んに強調しながらにごり酒を傾けていましたので、たぶん酒に酔ったのでしょう。
消灯の20時30分には廊下も非常灯以外は全て電灯の明かりが消えました。勿論、TVもない、暖房もない、電話もない(携帯は圏外)(吉幾三の歌みたい)のないない尽くしなので、山歩きのズボン・上着を重ね着しておとなしく布団にもぐりこみました。

2011年9月29日(木)
朝6時に起床したら、外は一面霜が降りて真っ白だったので、昨晩は重ね着して良かったと思いました。6時半に朝食をとって、7時40分に小屋を出発して沼尻へ向かう。沼尻から沼の南周りは通行禁止になっていたので北回りルートにて尾瀬沼ビジターセンターに着いた。同センター前の広場でお湯を沸かしてアルファー米で昼食をとって休憩。センターを13時頃出発して大江湿原を経由して沼山峠休憩所までの約3kmを約1時間少しでたどり着いた。同休憩所を14時20分発の会津乗合自動車の定期路線バスにて檜枝岐温泉に15時に到着した。
檜枝岐温泉では丸屋新館(http://www.naf.co.jp/maruyashinkan/)に宿泊しました。宿に到着した時間も早かったので、岩魚の日干し5尾セットのお土産を買うために約1.5km離れた林産所売店まで歩きました。丸屋新館は尾瀬桧枝岐温泉観光協会(http://www.oze-info.jp)のHPで知って創業140年記念の食泊セットを予約したのですが十分に満足できる内容の夕食でした。さらに、岩魚の骨酒2合を注文して夫婦で奪い合って楽しみました。この旅館は前日の山小屋とは異なり、テレビも暖房もあり、2日間の山歩きの疲労も抜けてゆくのを感じながら檜作りのお風呂にゆっくり浸かりました。
【丸屋新館の夕食の献立】
食前酒(自家製山ブドウ酒)、ニシン山椒付け、山ウド、わらび、きくらげ、かのした、夕顔キノコあんかけ、会津産エゴマ豚せいろ蒸し、岩魚刺身、天ぷら(舞茸、カボチャの芽、山ブドウのツル、山椒魚)、岩魚塩焼き、裁ちそば、つめっこ、はっとう。

2011年9月30日(金)
檜枝岐温泉を6:15のバスにて会津高原尾瀬口駅に向かい、そこから野岩鉄道・東武電車にて浅草駅まで帰った。尾瀬口駅を8時24分に出発して鬼怒川で特急に乗り換えて浅草には午前中の11時15分に到着しました。私は、その足で職場に向かいました。
檜枝岐温泉から尾瀬口駅までの途中は、人家の裏山が切り立っていて、土砂崩れで民家が倒壊していたり、山の斜面も地肌が見えていて愛知県の土砂ダムのような光景がいたる所で見られた。あと、気が付いたのが、檜枝岐温泉街の国道352号線沿いには多くの墓地があって、墓地が国道沿いで人家が裏山の麓にあるといった感じでした。

檜枝岐温泉から尾瀬口駅までの会津バスの中で携帯電話(e-mobile)を落としてしまい、東武電車の車中から電話で着払い宅配便をお願いして無事2日後に自宅に届きました。会津乗合自動車田島営業所の係員の方、ありがとうございました。

【感想】
 夜行バスと翌早朝からの至仏山の登山という奥様にはきついスケジュールでしたけど、夫婦で初秋の尾瀬を楽しみました。28,29日の2日間は天候に恵まれてのハイキングでした。改めて奥様に感謝です。
あと、尾瀬小屋の宿泊客が「晴天を超えて青雲だった。」と言ってましたが、東京に戻ってから晴れに関する用語を調べたら、晴れ、晴天、快晴
、日和などとなっており、青雲はありませんでしたが。???

 

【写真・動画】 

↑ 鳩待峠にて
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↑ 木道の霜 
↑ 霜
↑ オヤマ沢、山頂まで1.8km
↑ 小至仏から至仏山を望む 
↑ 山頂付近は岩場
↑ 至仏山山頂
↑ 尾瀬ヶ原を燧岳方面へ
↑ 振り返ると至仏山
↑ 草紅葉と白樺
↑ 燧岳を背景にワレモコウ
↑ ヒツジ草
↑ ヒツジ草の花
↑ ヒツジ草
↑燧岳
↑ 初秋の尾瀬ヶ原
↑ 宿泊した尾瀬小屋
↑ 沼へ向かう
↑ 少し紅葉が始まっている
↑ 朝日に輝く葉
↑ 思いっきり晴天
↑ たなびく水草
↑ 腹赤イモリ?
↑ 人生は一歩ずつ
↑ 沼に到着
↑ 二人で・・・
↑ 沼と燧岳
↑ 草紅葉と沼と旅人
↑ 草紅葉
↑ 丸屋新館(檜枝岐温泉)
↑ 野岩鉄道の駅
↑ 温泉宿の夕食の献立
↑ 同左
 
↑ 檜枝岐歌舞伎の舞台
↑ 檜枝岐歌舞伎の観客席
 
↑ 蕎麦畑
↑ 稲刈前
↑ 国道352号線の崖崩れ
↑ 同左
↑ 同左